雑記

名馬紹介~スーパークリーク(後編)

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骨折から完治したスーパークリークは神戸新聞杯に出走するも、結果は3着。

当時の神戸新聞杯は菊花賞トライアルではなかったので、優先出走権は得られず、3着の賞金では菊花賞の出場には足りず、普通であれば俵に脚がかかった状態だった。

しかし陣営に焦りの色はなかった。次走に狙いを定めた京都新聞杯で5着に入れば菊花賞の優先出走権が取れる。いまのスーパークリークの実力を持ってすれば造作のないことのはずだった。

自信を持って臨んだ京都新聞杯では予想だにしていない事が起きる。

最後の直線で追い込みにかかったときに、横を走っていたガクエンスービートに騎乗した坂井騎手の鞭が何度もスーパークリークの顔に直撃した。これには我慢強いスーパークリークもひるんでしまい、武豊騎手が体勢を立て直すも6着に破れてしまう。審議のランプすらつかなかった。

これには陣営は猛抗議。武豊騎手ですら怒りの表情で爆発するのをこらえるのが精一杯といった状態だった。しかし一度下った裁定が覆るはずもなくレースは確定。ここにきて本当に窮地に立たされ陣営は焦りの色を浮かべる。

優先出走権もなく、賞金も足らない、菊花賞に出るには出走予定馬のキャンセル待ちという、自分ではどうにもならない状態に追い込まれたが、有力視されていたセンシュオーカンが脚部不安で回避し、さらに出走権を持っていたマイネルフリッセが出走を取りやめたことで、スーパークリークに出走権が回って来たのであった。

なお出走を取りやめたマイネルフリッセの馬主は、スーパークリークの配合をアドバイスした岡田繁幸氏で、このことがきっかけでマイネルフリッセを管理する中村均調教師と一時関係が悪化するが、それはまた別のお話。

いくつもの幸運に恵まれ出走を果たした菊花賞、ヤエノムテキ、ディクターランドに続く3番人気。中団やや後ろの位置取りから1週目の2コーナーでヤエノムテキを射程に入れると、4コーナーで印をついて猛スパートをかけ、直線では2着と5馬身差をつけての圧勝。騎乗した武豊騎手と共に初のG1タイトルを手にしたのだった。

初G1を獲得した勢いに乗ってその年の有馬記念に出走する。そこには当年史上初の天皇賞春秋制覇をなした8連勝中のタマモクロス、同い年でありながらクラシック登録がなく別路線を進んできたオグリキャップ、マイルCSで古馬に圧勝したサッカーボーイ、前年の優勝馬メジロデュレンなどが待ち構えていた。

菊花賞からはるかにレベルの高いメンバーを向こうに回して、スーパークリークは3着で入線を果たすも、メジロデュレンの進路妨害で失格となってしまい、苦い敗戦で3歳を締めくくった。

4歳となったスーパークリークは、コンディション不良が長引いて春~夏まで欠場。そして復帰戦となる京都大賞典を2着に3/4馬身差、3着以下に大差をつけ、おまけにエリモジョージのコースレコードを13年ぶりに更新して快勝。秋の天皇賞でオグリキャップと再び対決をすることとなる。

オールカマーとG2毎日王冠を連勝し、万全の態勢で乗り込んできたオグリキャップは1番人気となり、スーパークリークは2番人気に甘んじていた。

しかしスーパークリークと武豊騎手は会心のレースを見せる。スーパークリークは8枠14番から3番手につけ、3コーナーから4コーナーにかけて進出を開始。この時オグリキャップは2コーナーから4番手でスーパークリークを追走しており、勝負は最後の直線に持ち込まれた。

直線ではメジロアルダンとの先頭争い制し、オグリキャップをクビ差凌ぎきり、菊花賞に続き二つ目のG1を制した。この秋の天皇賞によってスーパークリークは長距離のスタミナに中距離でも戦えるスピードを持つ非凡な馬だということを証明した。

その1か月後の第9回ジャパンカップでは、世界レコードを記録したホーリックスから0.5秒差の4着(オグリキャップは2着)、年末の第34回有馬記念では、ゴール寸前でイナリワンに交わされるも、タイム差なしの2着(オグリキャップは5着)と、この年における秋のG1戦線の主役の一人としてふさわしい成績を残した。

翌年は産經大阪杯を快勝すると、春の天皇賞へローテーションを進めると、1.5倍という断トツの1番人気に推される。この時昨年の有馬記念以来の対決となるイナリワンは、前哨戦の阪神大賞典で5着が響いたか6.0倍の2番人気。3番人気で70倍のサクラホクトオーの3頭だけが1ケタ台の人気という、スーパークリーク1強という状態となり、断トツの人気に応え、2着のイナリワンに1/2馬身差で勝利。

これまで春→秋の天皇賞連覇はタマモクロスがいたが、秋→春の順で天皇賞連覇はスーパークリークが史上初となる。この快挙を受け、宝塚記念や海外遠征のプランも浮上するがかねてより悩まされていた筋肉痛などのコンディション不調が再発しプランは白紙となる。

秋は京都大賞典から復帰し連覇を達成。ちなみに京都大賞典連覇はグレード制導入以後は初となる快挙。

しかし直後に左前脚の繋靭帯炎が判明し、天皇賞(秋)を回避。そのまま復帰は叶わず、年末に引退を発表した。翌1月に中山競馬場、京都競馬場でそれぞれ引退式が執り行われた。

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