ウマ娘プリティダービー

【ウマ娘】ネオユニヴァース元ネタ解説

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【ウマ娘】ネオユニヴァース実装

2023年4月19日に[Universe-Naut]ネオユニヴァースが実装となりました。2022年2月22日にぱかライブで発表されてから2か月以内で実装と最短記録ではないでしょうか?

これまでスイープトウショウとゼンノロブロイの育成シナリオに、テキストだけでネオユニヴァースらしきウマ娘のことが語られていましたが、社台レースホース(以下社台)の馬がついにウマ娘で実装される…これは非常に大きなことで、社台の所有する競争馬は実績馬が多く、これまでのウマ娘内でもキンイロリョテイ(ステイゴールド想定)やダイナムヒロイン(ダイナアクトレス)、ディクタストライカ(サッカーボーイ)など名称変更で登場していましたが、いよいよ実名で登場する可能性が高まりましたね。

ネオユニヴァース(ウマ娘)のプロフィール

名前:ネオユニヴァース(CV:白石晴香
誕生日:5月21日
身長:160cm
体重:増減なし
スリーサイズ:B79・W52・H72
靴のサイズ:確認中
学年:中等部
所属寮:栗東寮
非常に頭脳明晰で成績優秀なウマ娘。唯一の欠点は普通の会話ができないこと。あまりに頭がよすぎるためか、難解で独特な発言や行動が目立つ。そのため周囲から“まるで宇宙人”と評されることもあるが……?

非常に頭脳明晰で成績優秀だが、難解な単語に加え独特な文法で話すため、周囲と溶け込めないことが多い。賢い電波系な不思議ちゃんだが、頻繁に利用している図書室ではゼンノロブロイとそれなりに会話が続く友人になったり、他のウマ娘とも乗り気で話に混ざろうとするなど、他社との関りには積極的。

フワフワと掴みどころのない、不思議な雰囲気を漂わせるウマ娘。元馬の毛色は鹿毛だが、実馬のメンコの色が髪色になっていて、ミステリアスな雰囲気を強調している。

馬名の由来

馬名の意味は「新しい宇宙」だが、由来はL’Arc~en~Cielの楽曲「NEO UNIVERSE」から

ちなみに2003年の宝塚記念の際、同バンドのボーカルhyde氏はネオユニヴァースの馬券を1万円買ったが4着に敗れため、同日のライブのMCで「今後ネオユニヴァースが勝つまで『NEO UNIVERSE』はやりません」と発言
翌年の大阪杯で勝つまで本当にライブで封印されてしまった。

勝負服

白くぶかぶかで袖余りのジャケットを羽織っている。袖には馬主である社台レースホースの勝負服のデザイン「黄、黒縦縞、袖青一本輪」に合わせて黄色く太いラインが流れ、袖口と二の腕には青一本輪、上半身右側に黄色地に黒いベルトのようなものが三本が入っている。

同期のウマ娘

同期となるウマ娘:ゼンノロブロイ

ひとつ上の世代:シンボリクリスエス、ヒシミラクル

ひとつ下の世代:スイープトウショウ

実在馬の情報

では実在馬としてのネオユニヴァースを見ていきましょう。

登録名:ネオユニヴァース(Neo Universe)
性別:牡馬
毛色:鹿毛
誕生日:2000年5月21日
登録日:2002年5月8日
抹消日:2004年9月20日

戦績

生涯成績:15戦8勝
獲得賞金:4億959万8100円

主な勝ち鞍

・GI:皐月賞-2003年
・GI:東京優駿-2003年
・GII:スプリングS-2003年
・GII:産経大阪杯-2004年
・Giii:きさらぎ賞-2003年

略歴

ネオユニヴァースは2000年5月21日、北海道千歳市の社台ファームにて生まれる。父は1995年からリーディングサイアーとして活躍しているサンデーサイレンス。

全兄のチョウカイリョウガ、アグネスプラネットの好馬体に比べると脚長でひょろりとした馬だったが、調教を任されることになる瀬戸口調教師は、細身ながら骨格があり、さらに動きに柔らかさもある様子を見て「そこそこ走ってくれるんじゃないか」と考えていた。

瀬戸口調教師はオグリキャップの調教師でもあり、現役期間は異なるがネオユニヴァースはオグリキャップと同じ厩舎の所属となる。

デビュー~重賞勝利

2002年11月9日に京都競馬場芝1400mの新馬戦でデビュー。鞍上に福永祐一機種を迎え1番人気で初勝利。福永騎手はGI級と評価している。

続く中京2歳ステークスでも1番人気に推されたが最後の直線で2頭に交わされ、勝ち馬からタイム差なしの3着となるも、翌年1月の白梅賞ではしっかり勝ち切りきさらぎ賞(GIII)に駒を進める。

3番人気となった同レースでは最終コーナーで先頭に立ってそのままゴールまで押しきり、シンザン記念を勝利したサイレントディールを半馬身退けて重賞初勝利。春のクラシック戦線における有力馬の1頭に数えられるようになる。

クラシック戦線~皐月賞へ

そうなると皐月賞トライアルの弥生賞(GII)を選択するのが普通だが朝日杯FS (GI)を制していたエイシンチャンプも出走を表明しており、福永騎手がネオユニヴァースと騎乗馬がかぶってしまうため福永騎手は瀬戸口調教師と相談の上、エイシンチャンプを選択する。

この時福永騎手がどちらを選択するのかは、ウマ娘ストーリーで描写されたトレーナーから契約を断られたやり取りの元ネタと思われる。

 

一方ネオユニヴァースは弥生賞を回避してスプリングステークス(GII)に出走することになったが、吉田照哉氏の推薦でイタリア人騎手、ミルコ・デムーロ騎手が鞍上となる。

当時のミルコ・デムーロ騎手は短期免許制度で来日しており、日本騎手の免許を取る前の話。

スプリングステークスでは15番枠から発走し、中距離以上でスタミナが通用するか、騎手との折り合いを保てるかを確認するため、ミルコ・デムーロ騎手が馬群の外側を終始回り続けるが、距離ロスをものともせず1番人気のサクラプレジデントに1馬身4分の1差を付けて快勝。

ミルコ・デムーロ騎手も「調教と同様にレースでも折り合いの不安がなく、素晴らしい瞬発力と持久力を合わせもっていることが確認できた」とクラシックに受けた手ごたえを感じていた。

4月20日、クラシック三冠初戦・皐月賞 (GI)。ネオユニヴァースはオッズ3.6倍の1番人気とやや混戦模様なオッズ

最終コーナーでは馬群の中で埋もれそうになるが、わずかに開いた隙間を突いて一気に抜け出すと、最後はサクラプレジデント(2番人気)との競り合いをアタマ差制しての優勝

ゴール後にミルコ・デムーロ騎手が、横を並走するサクラプレジデント鞍上の田中勝春騎手が「ちょっと寂しそうな、悲しそうな顔」をしていたのをみて励ますつもりで、頭を叩いてしまう場面があった。これはSNS界隈で語られている「頭をたたく」というキーワードの元ネタ。

この行為は物議を醸しだしたが、本人には悪気がないことや、塞がった進路にできた一瞬の隙間をついて勝ったデムーロの騎乗に対して調教師からの評価が高かった。

日本ダービー・コンビ復活

皐月賞のあとデムーロは短期免許期間が終わりイタリアに帰国。本国の厩舎(ブルーノ・グリツェッティ厩舎)との騎乗契約があるため、日本ダービーに騎乗できない可能性もあった。

しかし吉田照哉氏が同厩舎に所有馬を預けていた縁やデムーロ騎手の希望のあって、ブルーノ・グリツェッティ調教師はこれを承諾。1週間という超短期免許で日本ダービーの騎乗が実現した。

6月1日の日本ダービーは前日には台風の影響から大雨が降り、当日の馬場状態は「重」。

ネオユニヴァース(単勝2.6倍で1番人気)とサクラプレジデント(3.6倍の2番人気)が「二強」とみられるなか、皐月賞不出走で青葉賞(GII)を制してきたゼンノロブロイが3番人気に押された。

ネオユニヴァースは、馬場状態が悪い内寄りのコースを通って第3コーナーから先団へ進出。最後の直線では先に抜け出したゼンノロブロイを半馬身差かわして二冠馬となる。着差こそ半馬身であったが、デムーロがゴール前でガッツポーズを取ったほどゴール前の脚色に違いがあった。

史上初の外国人騎手の日本ダービー制覇、観客から湧き上がるデムーロコールに、ミルコ・デムーロ騎手は感極まって涙を見せた。そして瀬戸口師も自身初のダービー制覇であり、「ネオの根性のある所は(かつて管理した)オグリキャップに似ている」と述べている。

ちなみにこの時の1~5着が全て社台ファームの生産馬で、ネオユニヴァース(1着)、ゼンノロブロイ(2着)、サイレントディール(4着)がサンデーサイレンス産駒、ザッツザプレンティ(3着)ゼンノジャンゴ(5着)がサンデーサイレンスの孫

異例のローテ・宝塚記念出走

日本ダービーの優勝馬は休養に入り秋に備えるというローテーションが一般的だが、ネオユニヴァースは同年の宝塚記念に出走を表明。

同年のクラシック優勝馬が宝塚記念に出走するのは初めての事例に世間は驚いたが、ファン投票では6位を獲得したことから、去年の年度代表馬とダービー馬の対決を期待されていた。

当日は前年度代表馬のシンボリクリスエスが1番人気となり、国内外でGI競走6勝のアグネスデジタル(3番人気)、前年有馬記念2着のタップダンスシチー(4番人気)、春の天皇賞を制したヒシミラクル(6番人気)、前年度優勝馬ダンツフレーム(7番人気)とメンバーがそろう中、ネオユニヴァースは2番人気で出走となる。ここでも鞍上はミルコ・デムーロ騎手。結構頻繁に来日してますね。

レースでは出遅れて後方からとなってしまい、勝ったヒシミラクルから0秒3差の4着で入選。陣営は他馬とぶつかるアクシデント、道中外を回らされたことを敗因に挙げており力負けではないと悲観的な色はなかった。

クラシック最終戦・菊花賞にむけて

1994年のナリタブライアン以来となる史上6頭目のクラシック三冠達成が懸かる菊花賞を目標に、半年ぶりの騎乗となる福永騎手を迎え神戸新聞杯 (GII)に臨む。

レースでは春の有力馬も顔を揃え、特にサクラプレジデントは夏の札幌記念 (GII)で古馬(4歳以上馬)を破り、まさに上がり馬といった仕上がりで1番人気。ネオユニヴァースはそれに次ぐ2番人気となるも後方からのまくりをかけたサクラプレジデント、さらに同馬を一気に抜き去ったゼンノロブロイに後れをとり、約4馬身差の3着に終わってしまう。

しかしこのときネオユニヴァースは歯替わりの最中で、ハミ受けの具合が悪かったことと敗因が明らかで、陣営は菊花賞への影響はないとしていた。

そして迎える菊花賞当日。

皐月賞・ダービーとコンビを組んだミルコ・デムーロ騎手は春の時点で3か月分の短期騎手免許を消化してしまっており、菊花賞では乗れないルールだった

ここでJRAは急遽「同一馬に騎乗して同一年にJRAのGIを2勝以上した場合、その年のGIで当該馬に騎乗する場合に限り、そのGI当日のみ免許を発行する」という特例措置を発表。晴れてネオユニヴァースとデムーロ騎手のコンビは晴れて菊花賞へ挑むことが叶った。

ちなみに菊花賞の前週に行われた秋華賞では、スティルインラブが1986年のメジロラモーヌ以来17年ぶりの「牝馬三冠」を達成しており、ネオユニヴァースの三冠にかかる期待はさらに高まることとなる。

ネオユニヴァースは道中で12番手を追走。周回2周目の第3コーナーから5番人気のザッツザプレンティが一気にスパートを掛けて先頭に立つと、ネオユニヴァースもこれを追い2番手で最後の直線に入った。直線ではザッツザプレンティが逃げ粘り、ネオユニヴァースは差を詰められず徐々に失速してしまい、1馬身弱の差の3着。

クラシック以降の挑戦~引退へ

菊花賞の後はデムーロとのコンビで国際競走・ジャパンカップ (GI)に出走。

天皇賞(秋)をレコード勝ちしたシンボリクリスエス(1番人気)、京都大賞典(GII)を快勝してきたタップダンスシチー(4番人気)と再戦を果たす。

ゲートが開くとネオユニヴァースは13番手前後と、またも後方を追走して最後の直線に入ったが、後続に終始大きな差を付けて逃げ続けたタップダンスシチーがカツラギエース以来19年ぶり、レース史上2例目となる逃げきり勝ちをおさめる。この時つけた9馬身差はジャパンカップ史上最大着差で、それまでは1998年優勝のエルコンドルパサー、2着エアグルーヴの「2馬身半」差を大きく上回る記録となった。

ネオユニヴァースは2着のザッツザプレンティ、3着のシンボリクリスエスに後れての4着に終わった

ジャパンカップの後は有馬記念に出走せず休養に充て、翌年4月4日の産経大阪杯に出走する。負担重量は59kgというトップハンデにもかかわらず1.8倍の一番人気に推され、重賞4勝のバランスオブゲーム、前年のエリザベス女王杯優勝馬アドマイヤグルーヴといった実績馬を子ども扱いし快勝

産經大阪杯で復活をファンにアピールしたネオユニヴァースは、5月2日天皇賞・春 (GI)へ向かう。

前年の3歳クラシックで鎬を削ったリンカーン(1番人気)、ネオユニヴァース(2番人気)ザッツザプレンティ(3番人気)、ゼンノロブロイ(4番人気)をはじめ、4歳馬が人気上位を占めていたが、5歳馬イングランディーレが7馬身差で圧勝。出走馬18頭中9頭が4歳馬であったが、2着のゼンノロブロイ、4着のチャクラがかろうじて掲示板に乗り、10着のネオユニヴァースを含めた3頭以外の4歳馬は軒並み11着以下に沈んだ。

当時はサンデーサイレンス産駒またその孫世代が台頭し、競走馬全体の新陳代謝が活発になっていた時代、とにかく若い世代の台頭が著しかったが、やはり春の天皇賞は古馬に上がったばかりの4歳馬にはきつかった。

その後は宝塚記念へ向けて調整されていたが、右前脚に浅屈腱炎および球節亀裂骨折を生じていることが判明し以後治療に専念していたが、夏を越しても復帰の見込みが立たず引退を決意。

9月に引退・種牡馬入りが発表され、同月20日に札幌競馬場で引退式が行われた

引退後は社台スタリオンステーションに種牡馬入りし、日本馬として初めてドバイワールドカップを勝ったヴィクトワールピサ(ミルコ・デムーロ騎乗)を筆頭に、2009年の皐月賞・ダービー馬のアンライバルドとロジユニヴァース、2017年のQE2世Cを勝ったネオリアリズムなどGⅠ馬を多数を輩出した。

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