第6話「なんのために」
メジロパーマーの宝塚記念制覇
「やったよトレーナー!あれ?トレーナー?」
メジロパーマーが優勝した1992年の宝塚記念は、メジロマックイーンが直前に骨折したことから、メジロパーマーが出るというのに応援ツアーは中止され、メジロ牧場の関係者はほとんど応援に来ていませんでした。
アニメでもトレーナーの姿が見当たらないというような描写になっていますが、ウマ娘ではトレーナーはちゃんと観戦していましたが、パーマーが勝てそうな状況に興奮して倒れてしまったので、史実同様勝利の瞬間を見てもらうことができませんでした。
トウカイテイオーの復帰後プラン
1992年の天皇賞春でメジロマックイーンの5着に敗れたトウカイテイオーは、右前脚の剥離骨折が判明し、以降春シーズンは休養となりました。
トレーナーに渡された紙には復帰戦となる秋の天皇賞(1992年11月1日)以降のプランが書いてあり、ジャパンカップ(1992年11月19日)有馬記念(1992年12月27日)と史実のトウカイテイオーと同様のローテーションが書かれています。
しかし92年の有馬記念後、度重なる故障のため4月4日の大阪杯の出走は見送られてしまったため、同レースには出走できませんでした。
ただ1枚の紙を移したシーンでここまでネタを盛り込んでくるとは。。。細かすぎですね!
ミホノブルボンとライスシャワーの対決
4話5話とミホノブルボンを追走するライスシャワーが描かれておりましたが、回を重ねる度に少しづつ距離が縮まっています。これはミホノブルボンとライスシャワーは同世代で、これまで4回対決していることの隠喩となっています。
・スプリングステークス:1着ミホノブルボンー4着ライスシャワー(1.6秒差)
・皐月賞:1着ミホノブルボンー8着ライスシャワー(1.4秒差)
・日本ダービー:1着ミホノブルボンー2着ライスシャワー(0.7秒差)
・京都新聞杯:1着ミホノブルボンー2着ライスシャワー(0.2秒差)
そして引退レースとなる菊花賞。ミホノブルボンの生涯戦績8戦のうち5回ライスシャワーと対決しており、ミホノブルボンにとって最大のライバルといえるのではないでしょうか。
戸山為夫調教師は当時最新の施設であった坂路を用いたスパルタ調教をミホノブルボンに施し、他の厩舎が登坂3回で終えるところ、4回を消化したことから「坂路の申し子」といわれていました。
トウカイテイオーの有馬記念
解説の細江さんが「このところ浮き沈みの激しいレースを繰り返していますからね。」というコメントから、史実のトウカイテイオーと同様復帰戦となった秋の天皇賞では7着、中2週で挑んだジャパンカップ(1992年11月19日)は優勝したものの、2着のナチュラリズムにクビ差という辛勝でした。
そして有馬記念(1992年12月27日)では終始後方のまま、生涯最低の11着に終わってしまいます。
「ゲートでおしりぶつけたかな。」というコメントがありますが、これはレースの敗因にゲートでトモを滑らせて腰の筋肉を痛めたことを挙げたエピソードが元ネタと考えられます。
2着はレガシーワールド。
そしてナイスネイチャはこの年が2年連続の3着。
そして92年の有馬記念後、左中臀筋を痛めていたことが判明し休養に入ります。当初は宝塚記念での復帰を目標に調整されていたが、宝塚記念の10日前に左前トウ骨の剥離骨折が判明し、再び長期休養を余儀なくされてしまいます。
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