打倒リギルを目標に、チーム“スピカ”一同はトレーニングを続ける。そんななか、サイレンススズカと走りたい気持ちが膨らむスペシャルウィークは、自分の気持ちをトレーナーにぶつけようとするが…。
菊花賞のため京都への遠征から戻ってきたスぺちゃん。
悔し泣きをするスぺちゃん
外からスぺちゃん、内にキングヘイロー。実際の菊花賞でもこういった並びでゴールしてました。
作中でスぺちゃんは『セイウンスカイさん凄かったです。全然追いつけなかった…』と能力に差があった印象を受けますが、このレースではセイウンスカイが芸術的なレース運びで勝利した、いわば「作戦勝ち」といった内容でした。
セイウンスカイはスタート後ハナに立つと、前半1000メートルを59秒6というハイペースで進めましたが、中間の1000メートルで64秒3と一気にペースを落としスタミナを温存、2週目の坂の下りから早めのスパートを仕掛けると、最後の1000メートルを59秒3で駆け抜けて、スペシャルウィークを3馬身半離して勝利するという内容でした。
3000メートルの長丁場を逃げ切るのは至難の業であり、菊花賞の逃げ切り勝ちは38年ぶりのことでした。さらに当時3000メートルのワールドレコードをたたき出したことからも、セイウンスカイが強いこともありますが、そのうえに作戦もハマったとあっては、「勝った馬が強かった」と褒めるしかないですね。
ウマ娘ではスプリンターなキングヘイロー(3番人気)は5着にしっかり入ってますね。本編ではほとんど出番がないのにしっかり描いてあるあたり、こだわって作ってる感が伝わってきます。
スピカに勝つべくトレーニングをするリギルの面々。中でも毎日王冠でサイレンススズカに初の敗北を喫したグラスワンダーはマルゼンスキーに並走トレーニングを依頼する。
「併走トレーニングお願いできますか?」
「任せて!私のスピードについてこれるか試してあげるわ!」
グラスワンダーはデビュー戦から4連勝で朝日杯3歳ステークスを1分33秒6のレースレコードで制し、翌1998年1月に発表された年度表彰・JRA賞では最優秀3歳牡馬に選出されました。
フジテレビの実況の三宅正治アナウンサーが「マルゼンスキーの再来です!」と報じたことや、JPNクラシフィケーションの作成に当たっては、選考を務めるハンデキャッパーが、かつて2歳馬として最高評価を与えられたマルゼンスキーとの直接比較を行ったことから、間接的に縁がある2頭ということになります。
この時の格付けでは、グラスワンダーはマルゼンスキーよりも相手の層が厚いと考えられること、またマルゼンスキーには一度だけハナ差の辛勝があったことが考慮され、グラスワンダーには1ポンド上積みされた116ポンドが与えられ、事実上「JRA史上最強の2歳馬」という評価になりました。
グラスワンダーとマルゼンスキーが併走トレーニングに出た傍らでは、エルコンドルパサーがエアグルーヴとサイレンススズカについて話している。
エル「エアグルーヴ先輩、去年の秋の天皇賞でスズカさんに勝ってますよね?」
エアグルーヴ「天皇賞では勝ったが宝塚記念では負けた…去年のスズカと今年のスズカはまるで別人だ…」
サイレンススズカはデビューした年は9戦3勝と、勝率はよくありませんでした。しなやかで丈夫な体質だが華奢で気性面にも幼さがあり、特に気性面での問題がレースでマイナスに働くことが多く、エアグルーヴに敗れた天皇賞秋(6着)は、本馬場入場時にスタンドからの歓声を浴びた途端に激しくイレ込み、その次のマイルチャンピオンシップでは旋回癖を直そうとしたストレスのせいか、当日のパドックでも落ち着きがない状態で15着と良い結果を残せませんでした。
しかし翌年(作中でいうとサイレンススズカが登場したタイミング)からは、筋肉がついて馬格が良くなったことに加えて、それまでは本能でがむしゃらに走っていただけであったが、息を入れることを覚えたためか二の脚(逃げ馬や先行馬が直線辺りで、後から抜かされそうになった時にさらに伸びる走り方)を使えるようになるなど、肉体面だけでなく精神面でも劇的に成長したことを考えると別人(馬)のようになるという印象もわかりますね。
スピカ・リギルのメンバーも様々な思いを抱えて迎えた天皇賞秋。
1並びの天皇賞
サイレンススズカは1枠1番
1000m57秒4は毎日王冠を上回るハイペース
4コーナー手前で突然の異変
激痛に耐えながらも前へ走ろうとするが、失速していく
レースに優勝したエルコンドルパサーの表情も暗い
1998年11月1日に施行された、118回天皇賞(秋)。サイレンススズカは逃げ馬としては有利となる1枠1番を引き当て、当日の単勝支持率は61.8%、単勝オッズは1.2倍と圧倒的な一番人気に支持された。
レースはサイレンススズカが好スタートをきり、作中の実況通り序盤1000m57秒4の超ハイペースで逃げ、先頭から最後尾まで約6秒もの差がつくほど広がった。しかし4コーナーの手前で突然の失速。左前脚の手根骨粉砕骨折を発症し競走を中止しました。
サイレンススズカの故障は通常の馬なら即座に転倒してもおかしくないほどだったといいます。それでも走りたい気持ちからか、騎手を守ろうとしたのか・・・ギリギリまで倒れなかった部分も描写されてますね。
フジテレビ実況の塩原恒夫アナウンサーの「沈黙の日曜日」と発言から、サイレンススズカ最期のレースをこう呼ばれるようになりました。
このレースの勝ち馬ですが作中ではエルコンドルパサーが優勝しています。実際にはオフサイドトラップという馬が同レースを勝っているのですが、この2頭の馬主さんは同じ人なんですね。
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