急遽、1週間後のデビュー戦に出場することになったスペシャルウィーク。サイレンススズカや生徒会長のシンボリルドルフに初レースの心得を尋ねるが、緊張と不安は募るばかり。そして、初トレーニングが始まり…。
生徒会長であるシンボリルドルフがスペシャルウィークに、トレセン学園のスクールモットー「Eclipse first, the rest nowhere.」の意味が分かるか?と尋ねるシーン。
エクリプスは18世紀後半に活躍したイギリスの競走馬です。
馬主であるデニス・オーケリー氏がエクリプスのデビュー戦の前に次のレースの着順を予想した時に言った言葉が「Eclipse first, the rest nowhere.」です。
そしてエクリプスはデビュー戦で2着の馬に240ヤードの差をつけて圧勝しました。
当時の競馬は1着の馬に240ヤード以上の差をつけられると失格(着順にカウントされない)となるため、「エクリプス1着、他の馬はどこにもいない」という言葉通りの決着になりました。
以後、そのエピソードが由来となり「唯一抜きん出て並ぶ者なし」という意味のイギリスのことわざになりました。
トウカイテイオーが学園を案内してるときに、レースに負けた鬱憤を晴らしているヒシアマゾンさんを見かけます。
また負けた!と叫んでいるので、おそらく連敗した悔しさを叫んでいると思われるので、実際のヒシアマゾンが連敗したレースから探っていきます。
ヒシアマゾンが連敗したのは
・デビュー2戦目のプラタナス賞(2着)⇒3戦目の形成杯3歳S(2着)
・1994年の有馬記念(2着)⇒1995年の高松宮杯(5着)か
・1995年のジャパンカップ(2着)⇒有馬記念(5着)⇒1996年安田記念(10着)⇒エリザベス杯(2位入線-7着降着)⇒ラストランとなる有馬記念(5着)
の6レースとなります。
このレースのうち、半袖を着る時期に行われるレースは高松宮杯(7月)か、安田記念(6月)のどちらかと思われます。
また「同じ馬に負けた」という意味だった場合をみてみましょう。
ヒシアマゾンが「同じ馬に負けた(着順が下だった)ことがあるのは、1996年安田記念(タイキブリザードの2着)のみとなりますので、安田記念が最有力といえます。
ハルウララがスペシャルウィークの出馬表が載っている新聞を持ってきました。
スペシャルウィークのデビュー戦も阪神競馬場(右周り)で芝1600mのコース、8枠14番でした。
作中の阪神競馬場のコース図は、2006年に改装された現在のコースですが、実際のスペシャルウィークが走った当時は外側のコースがなく、阪神芝1600mで8枠に入った馬は非常に不利なポジションでした。
明日のレースへの不安を抱えたまま、装蹄を行うスぺちゃん。
実際の競走馬も蹄(ひづめ)に蹄鉄(ていてつ)と呼ばれる、蹄を消耗しないための金具を装着しています。蹄鉄は装蹄師という資格を持った職業の方が、馬一頭一頭に合わせて蹄鉄を作って装着させます。
蹄鉄を装着するときは蹄に釘で固定する方法が一般的なので、スペシャルウィークも金づちをもってるんですね。
同室となったサイレンススズカに、日本一のウマ娘なりたいという理由、お母ちゃんとの約束、自分の原点、自分を産んでくれたお母ちゃんと育ててくれたお母ちゃん、3人の間の願いと約束を果たすためというスペちゃんの原点を語るシーンは泣けます。
スペシャルウィークは仔馬から競走馬になるまでにいた日高大洋牧場では、ティナという女性スタッフが育成担当でした。母親の愛情を知らずに育った仔馬なので、女性のほうが良いだろうという理由だったそうです。
彼女は教えれば教えるだけ成長するスペシャルウィークの賢さにほれ込み、スペシャルウィークの世話が生きがいになるほどだったといいます。
作中の「二人目のお母ちゃん」は金髪なので、このティナさんという方が元ネタなのではと思います。
実際のスペシャルウィークには「産んでくれたお母ちゃん」「お乳をくれたお母ちゃん」「競走馬になるべく育ててくれたお母ちゃん」3人いたんですね。この辺のエピソードもウマ娘の話で観てみたいなと思いました。
◆関連情報◆
コメント