アニメウマ娘プリティダービー雑記

ウマ娘(2期)に出てくる競馬ネタを集めてみた~7話

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7話「祝福の名前」

マックイーンの復帰戦

1993年4月4日産經大阪杯(G2)

1992年の天皇賞春の後に、左第1指節種子骨骨折を発症し長期戦線を離脱していたメジロマックイーンは翌年の産経大阪杯で復帰となる。

メジロマックイーン(7枠13番)は、逃げるラッキーゲランを前に置き2番手を追走。最終コーナーにて、促されることなく馬なりで先頭に立つ。

以後どの馬にも並ばれることなく、2着に上がってきたナイスネイチャに5馬身差をつけて先頭で入線する。前年春のバンブージャンボのタイムを0.2秒上回るコースレコードを樹立し優勝を果たした。

ライスシャワーの日経賞

ライスシャワーは1993年2月21日の目黒記念(G2)から始動し2着。

続く3月21日の日経賞(G2)では初めて1番人気の支持を受け、これに応えての勝利を挙げた。

マチカネタンホイザ

1993年目黒記念優勝

前述のライスシャワーの始動戦となった目黒記念で優勝したのはマチカネタンホイザでした。

この時マチカネタンホイザは1番人気の支持を受け、スタートを決めると逃げるブリザードとそれを追うチアズパワーを前に置き、2角からライスシャワーとストロングカイザーに並ぶに番手で追走。

直線で抜け出すと追い込んでくるイタリアンカラー、セキテイリュウオーを退け、2着のライスシャワーに2馬身半差をつけ優勝しました。

爆逃げコンビ

メジロパーマーとダイタクヘリオスが初めて顔を合わせたのは、1992年6月14日の宝塚記念。どちらも個性的な経歴や走法を持った馬であることと、同時に走ったレースで観る者に強烈な印象を与えるコンビ的な走りを見せたことから、「バカコンビ」などと呼ばれるようになった。

メジロパーマーは頭を立てたままの独特な姿勢で、遠目にもその馬であることがわかるくらい特徴的な走り方をする馬だった。この直立したままの走りは、ウマ娘内のパーマーでも再現されていて、他のウマ娘たちが前傾姿勢で走るなか、パーマーだけは直立したような姿勢で走っている。

また障害レースに使われた馬が、後に平地のG1に勝った例は競馬史上メジロパーマーのみという英歴の持ち主である。

ダイタクヘリオスは前に馬がいると抜いてやりたいという気質で、口を割って(=口を開けること)走ることが多く、その表情は笑っているようにも見えることから「笑いながら走る馬」と言われていた。

1992年は宝塚記念、天皇賞(秋)、有馬記念とそろって出走しており、対戦成績は下記の通りです。

・宝塚記念…パーマー:1着/ヘリオス:5着
・天皇賞秋…パーマー:17着/ヘリオス:8着(トウカイテイオー:7着
・有馬記念…パーマー:1着/ヘリオス:12着

天皇賞(秋) 右上にトウカイテイオーの脚が見えます

このシーンは天皇賞(秋)。スタート直後からパーマーとヘリオスが爆逃げを打ち、互いにハナ争いをしたため、前半1000mが57秒5という超ハイペースとなった。

後年、同じ天皇賞・秋で、サイレンススズカが記録したラップが1000m57秒4ということを考えると、すさまじい高速ラップと考えられる。

そしてトウカイテイオーは2頭に釣られ、すぐ後ろの3番手で追走してしまったことからパーマーヘリオスの道連れとなり大敗を喫してしまう。

 

なんか負けまくっているシーンしか出ていないダイタクヘリオスですが、35戦中2桁着順は3回しかなく、1992年のマイルチャンピオンシップではナイスネイチャやヤマニンゼファー、イクノディクタスを降して連覇しており、生涯獲得賞金は¥683,200,000という超名馬なのです。

トウカイテイオーの体の柔らかさ

トウカイテイオーは身体の柔軟性が非常に高く、本馬の特徴のひとつである。

クッション性の効いた「鶏跛」と呼ばれる独特の脚運びはテイオーの個性として好意的に捉えられ、騎乗経験のある関係者は一様に乗り心地の良さを口にするほどであった。

岡部幸雄騎手は「乗り心地が良すぎる」、田原成貴騎手は「ベンツのサスペンションのよう」と表現したといわれる。

ライスシャワーデビュー戦

ライスシャワーのデビュー戦は1991年8月10日 新潟3R(芝・右1000m)7枠8番でデビュー。

新潟競馬場での芝1000mといえば、名物の千直(1000mの直線コース)ですが、ライスシャワーがデビューした当時は新潟競馬場のリニューアル前で千直はありませんでした。また現在は左回りとなっていますが、リニューアル前は右回りでした。

 

ブルボンのケガ

ミホノブルボンは菊花賞の2着となった後、ジャパンカップを目標に調整していたが、追い切り直前に、右後肢跛行となり出走を断念。続いて目標に据えた有馬記念も出走を回避した。

翌年も復帰を目指していたが、1月27日に右後脚脛骨骨膜炎を発症。同年4月7日に右後脚第3中足骨を骨折してしまった。そして1994年1月19日正式に現役を引退しました。

ミホノブルボンは皐月賞・ダービーの二冠達成が評価されて、1992年JRA賞年度代表馬およびJRA賞最優秀4歳牡馬を獲得している。

ライスシャワーVSマチカネタンホイザ

ライスシャワーとマチカネタンホイザは同世代ということもあり、幾度となく同じレースで走っています。

1992年
・スプリングステークス…ライスシャワー:4着/マチタン:5着
・皐月賞…ライスシャワー:8着/マチタン:7着
・NHK杯…ライスシャワー:8着/マチタン:2着
・ダービー…ライスシャワー:2着/マチタン:4着
・菊花賞…ライスシャワー:1着/マチタン:3着
1993年
・目黒記念…ライスシャワー:2着/マチタン:1着

その後も1993年には天皇賞(春)、ジャパンカップ、有馬記念。1994年には日経賞で対決しています。

1994年の有馬記念はマチカネタンホイザは直前に取り消しとなったため、対決には至りませんでした。

ライスシャワーの有馬記念

前の話でトウカイテイオーが11着に敗れた1992年有馬記念(優勝:メジロパーマー)にて、ライスシャワーは2番人気に推された。

このときライスシャワーに騎乗した的場騎手は、後方に位置したトウカイテイオー(1番人気)の不調に気付かずスパートが遅れる結果となり8着に終わった。

的場はこの競走について「僕が乗った中で、ライスシャワーに対して最も失礼なレースだった」と述べている。

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