2話「譲れないから!」
TVアニメ『ウマ娘 プリティーダービー Season 2』第2話「譲れないから!」ではトウカイテイオーの骨折が判明するという衝撃的な幕開けでスタート。
オープニングソング「ユメヲカケル!」
1話ではオープニングでテーマソングが流れませんでしたよね。OPソングのタイトルは「ユメヲカケル!」ですが、これは1994年に発売された写真集「夢を駆けるトウカイテイオー」(出版:角川書店/発売日1994年5月1日)のタイトルからきているのかもしれませんね。
トウカイテイオーの骨折
史実では、ダービーの表彰式から競馬場内の出張馬房に戻る時点で歩様に異常があったとみられており、レントゲンの結果、「左第3足根骨骨折・全治6か月」と診断されました。
その他のパロディネタ
ウマ娘のアニメ内では、競馬ネタだけでなく、他のアニメ作品のパロディー的な要素も多く含まれています。
ゴルシのシーンは完全に「巨人の星」星飛雄馬の「俺はいま猛烈に感動している」が元ネタですし、
ダイワスカーレットが、「諦めたらそこで…」は「SLAM DUNK」安西先生の有名な名台詞です。
しかし言おうとした瞬間、ウオッカが話をカットインして「テイオー、ダンベル何キロ持てる?」と聞いています。これは「ダンベル何キロ持てる?」という別アニメのタイトルから来ていると思われます。
またこの話以降にも、様々なところで別アニメなどのパロディネタが見られますので、随時紹介していきます。
グラスワンダーのケガ
ルドルフ「これからは自分との戦いになるだろうな。おまえがそうだったように。」
史実のグラスワンダーも最優秀3歳牡馬に選出されながらも、NHKマイルカップの前哨戦に向けた調整中に右後脚の第3中手骨を骨折していることが判明し、春シーズンは全休養を余儀なくされました。
その後も骨折した右後脚を庇って走ることで左前脚に骨膜炎を発症するなど調子が上がらず、1998年の有馬記念を勝つまで、約1年にも及ぶ厳しい時期を過ごしています。
ゴールドシップの助言
海外に遠征しているサイレンススズカから助言を受け、図書室で菊花賞に向けた研究を始めるテイオー。
その様子を見たゴールドシップもテイオーにアドバイスを放ちます。
ゴルシ「京都の外回りコースは3コーナー手前から仕掛けるのはやめろよ」
史実のゴールドシップは皐月賞・菊花賞の二冠馬ですが、自分自身の菊花賞では3コーナーの坂頂上付近で先頭集団に追いついていき、4コーナーから直線入口では先頭に立つなど、かなり早いタイミングで仕掛けていきました。
「3コーナーからしかけるのは止めろ」とはどういうことなのか?というと、菊花賞の舞台では第3コーナーから仕掛けて勝った馬は三冠馬ミスターシービーくらいしかおらず、最終コーナーまでは下り坂をゆっくり下るのがセオリーとされています。
ちなみにミスターシービーが自身の菊花賞で3コーナーから仕掛けた時、松山調教師は「何をするんだ」と言ってその場で立ち上がったほどというので、この3コーナーから仕掛けるというのがいかに無謀な作戦かというのがわかります。これはコースの形状などが影響しているのですが、アニメの話からは脱線してしまうので割愛します。
メジロマックイーンのお嬢様設定
テイオーの治療のため、メジロ家に滞在するように促すマックイーン。医学療法士や鍼灸師、シェフ、パティシエ、主治医を紹介する。
執事「テイオー様にあらせられましてはこの週末当家でごゆるりとお過ごしくださいますよう」
テイオー「は…はぁ。マックイーン。どういうこと?」
マックイーン「使えるものは使っていただこうと思いまして。主治医もいますから。」
氏汁のメジロマックイーンがいたメジロ牧場は、90年代までは競馬界の一大勢力で開業当初から数々の重賞優勝馬を輩出し、1982年にメジロティターンで天皇賞(秋)に優勝し、八大競走初優勝。以降もメジロライアン、メジロドーベルなどの名馬を擁していました。
スタミナのメジロという異名が付くほど、長距離場を指向した生産が行われていましたが、2011年5月20日に競馬界から撤退してしまいます。
ナイスネイチャの菊花賞参戦
ナイスネイチャ「この後のレースで1着を取り続ければなんとかなる?」
1話では怪我していた(元ネタ:春のクラシックシーズンは骨膜炎を発症し、休養中だった)ネイチャ。
復帰戦のなでしこ賞(中京)こそ2着となりましたが、夏の小倉競馬に舞台を移してからは3連勝で重賞小倉記念(G3)を制し、その後の菊花賞トライアル京都新聞杯(G2)も快勝し、4連勝で菊花賞の舞台へ駒を進めます。
ちなみにですが作中で、ネイチャ『でさ。テイオー。私次はトライアルに出るわ。で、それに勝って菊花賞に出るから』という会話シーンがあります。
作中では「トライアル」と表現されてますが、当時菊花賞トライアルだった京都新聞杯は、2000年に施行時期が5月に移動したため、トライアルという表現になったと思われます。
また余談ですが、カノープスの部室に『目指せG1勝利!』の張り紙が飾ってあります。
チームカノープスのメンバーはナイスネイチャ、イクノディクタス、ツインターボと今後登場するマチカネタンホイザの4人。
史実ではどの競走馬もG1というタイトルには手が届かなかった馬ですが、いずれも人気の高かった馬たちで、特にネイチャとターボは20世紀の名馬100頭の中に選ばれました。
他の98頭の馬は全てG1タイトルホルダーであることを考えると、ファンからの愛され度合いの高さがうかがえます。
イクノディクタス登場
テイオーとネイチャが会話している場面で、カノープスの新メンバーとしてイクノディクタスが紹介されます。
昨今の競馬は牝馬の活躍が目覚ましいですが、当時は牝馬限定のレースも少なかったため、牡馬と競うしかなく、短距離以外では牝馬が活躍するレースは多くありませんでした。
そんな中で中距離路線で活躍したのがイクノディクタス。G1勝ちすらないものの、確実に賞金を持ってくる安定した走りをする初の5億円稼いだ牝馬になり当時の賞金女王になった馬です。
彼女は生来から頑丈な馬ではなく、デビュー前に屈腱炎という競走馬にとっては致命的な病気になっており、デビューどころか命が危うい状態になった経緯があります。そしてデビューをしてからは引退まで51戦ものレースに出走し、引退するまで一度も故障しなかったことから「鉄の女」という異名が付きました。
食材に蜘蛛
テイオーのための療養食をチームのメンバーが議論していますが、ちらっとヤバいものが映ってます。
競走馬と蜘蛛と言えば、マチカネタンホイザが飼い葉に紛れ込んだ蜘蛛を食べてしまったのが原因で、1994年有馬記念を出走取消になったエピソードがあります。
ゴルシ『ニンニク入れてもいいか?』
テイオー『駄目に決まってるでしょ!』
また、ニンニクも馬にはあまり好ましくない食材ですが、オグリキャップが現役時代エサに混ぜて食べていたそうです。
メジロマックイーンの天皇賞(秋)
テイオーの出走する菊花賞(1991年11月3日)の前に、メジロマックイーンの出走する天皇賞秋(1991年10月27日)があります。
現在では天皇賞秋は菊花賞の後に行われていますが、91年当時は天皇賞秋⇒菊花賞の順に行われていました。
施行の順番が入れ替わったのは2000年の菊花賞からで、この時の勝馬はエアシャカールでした。
第52回菊花賞
史実でもトウカイテイオーは菊花賞に間に合わず回避という結果になりますが、アニメ内のこのシーン、自分が目標だったレースが目の前で始まってしまう描写は、こみ上げるものがありますね。
ここではスピカのメンバーだけでなく、ルドルフやキタちゃんなどレースに出走するウマ娘以外、全員の耳がしょんぼりしてるのが印象的です。
実際の馬でも耳というのは感情を表しやすい器官で、耳が寝ている状態を「耳を絞る」といって怯えや警戒、不安などネガティブな感情の時にこういった動きをします。
《さぁ、レースは一団となって進んでいます。ここから第3コーナー手前坂を上ります。先頭は依然ナントウミスト》
当時の菊花賞で道中先頭を進んでいたのは「ホクセイシプレー」という馬で、北西の反対だから南東、シプレーは柑橘類の香水の総称ですが、そこから転じてミストとしたのでしょうか?
そして菊花賞の決着がつきます。着順の馬番や着差、走破タイムは史実通りですね。
ちなみに4F/3Fと書いてあるのはゴール直前のラストスパートのタイムで、「F」はハロンと読み(1ハロン=200m)に相当します。
3F=ゴール直前3ハロンなので、600mを35.4秒で走ったということになります。(またゴール直前を上がりと呼ぶため、この場合、上がり3ハロン35秒4と読みます)
実際の着順は以下の通りです。
1着:レオダーバン(作中:リオナタール)
2着:イブキマイカグラ
3着:フジヤマケンザン
4着:ナイスネイチャ
5着:シャコーグレイド(作中:シガーブレイド)
レオダーバンはマルゼンスキーの仔で、5着のシャコーグレイドはミスターシービーの仔です。1話で二人の関係性が見られる描写があります。
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