4話「TM対決!」
ついにトウカイテイオーの復帰初戦から始まります。
トウカイテイオーの大阪杯
実在のトウカイテイオーの時代は産經大阪杯(G2)でしたが、勝負服を着ているところから、すでにG1となっているようです。
そしてこのレースにはイクノディクタスと、前年の有馬記念でメジロマックイーンに先着して優勝したダイユウサクをも出走します。
ダイユウサクはダイサンゲンという名前に変わっていますね。
名前の語呂が似ているということもありますが、競馬ネタに絡めるなら有名な競馬ソング「走れコウタロー」の歌詞に出てくる、「あっと驚く大三元」というフレーズからきていると思われます。
前の二人はどうでもいい
実況の「前の2人はもうどうでもいい。」発言に睨みつけるカノープスの面々。
当時の実況である杉本清氏が興奮のあまり「前の2頭はどうでもいい」と口を滑らした実況が元ネタです。
ミホノブルボンとサクラバクシンオー
このバクシンオーのセリフはミホノブルボンを管理する戸山調教師が、ブルボンに対して「本質はスプリンター、短距離が得意」と評価したもの。になります。
バクシンオーとミホノブルボンは皐月賞トライアルであるスプリングステークス(1800m)で対戦しており、その時の繋がりができたと思われます。
ちなみにミホノブルボンは7馬身差を離しての1着(バクシンオー:12着)だったため、その時のブルボンの走りを見て、バクシンオーが短距離向きと評したと思われます。
ミホノブルボンのトレーナー
戸山調教師は坂路を用いたスパルタ調教で実績を持つ調教師で、他の厩舎が坂路調教を3回で終えるところ、4回を消化したことから、このセリフが出たと思われます。
ミホノブルボンの皐月賞
マチカネタンホイザがミホノブルボンの速さに驚いている演出に見えますが、実際にマチカネタンホイザはミホノブルボンと対戦するのは皐月賞が3度目です。
1回目は朝日杯FS(当時は朝日杯3歳ステークス)で対戦していますが、朝日杯ではミホノブルボンの鞍上だった小島貞博騎手が序盤から走る気を抑え、ハナ差の決着を招いたことから、4着のマチカネタンホイザでも0.5秒という着差の少ない決着でした。
2回目となるスプリングステークスの対戦では、1.4秒差をつけられており、そこで初めてミホノブルボンの速さを実感したエピソードがここに盛り込まれていると思われます。
ダイタクヘリオス登場
この「お嬢様」とはダイイチルビーの事と思われます。
ダイイチルビーは父に天馬・トウショウボーイ、母に桜花賞、エリザベス女王杯などに優勝し、最優秀4歳牝馬に選ばれたハギノトップレディという良血馬でした。
ダイタクヘリオスとダイイチルビーは1991年の短距離路線を席巻し、この2頭がそろって出走した全部で5つのレースのうち4つをどちらかが勝ち、そのうち3つはこの2頭が1、2着を分け合うライバル関係で、漫画『馬なり1ハロン劇場』(よしだみほ)などでも、この2頭がカップルという描写がされたほどでした。
しかしながら、1992年にはいるとダイイチルビーの成績が奮わず、5月の安田記念を最後に引退してしまいました。引退理由はフケ(牝馬の発情の事)で競争意欲がなくなったため、と発表されていたことから、ダイタクヘリオスとの競争に興味がなくなったと置き換えられていると思われます。
マックイーンとテイオーの特訓
同じチーム内のメンバーが大舞台で対決ということで、スピカが二つに分かれて各々の特訓に付き添います。
ここで気になったのが、分かれ方。
マックイーンにはゴールドシップとスペシャルウイーク、テイオーにはウオッカとダイワスカーレットが付き添ってます。
マックイーンと実在馬での血縁関係のゴールドシップは分かりますが、スペシャルウイークがはいっているのは単に話の展開のためだけではなく、スペシャルウイークとゴールドシップは春の天皇賞を優勝しており、後にマックイーンが春の天皇賞を勝つという春天の勝ちグループという暗喩になっていると思われます。
一方のダイワスカーレットとウオッカは、どちらも春の天皇賞は未出走となっています。
TM対決
メジロマックイーン「ならば私は天まで駆けていきますわ!」
レース前の記者会見で二人の舌戦が繰り広げられますが、主戦騎手の岡部騎手と武豊騎手のコメントが元ネタになっています。
両騎手のコメントは記者会見での応酬ではなく、トウカイテイオーの大阪杯の競走前に岡部騎手が発した「一杯になるという感じがなく、地の果てまでも走れそう」というコメントに対して、武豊騎手が「あっちが地の果てなら、こっちは天まで昇りますよ」と応酬し、対決ムードを盛り上げたやり取りがある。
メジロ家のおばあ様
テイオーの挑発に乗ってしまった記者会見をみて、メジロ家のおばあ様からおしかりを受けるシーンです。
おばあ様の顔は描かれなかったが、白ないし銀髪の髪に帽子を被っている姿をしています。
元ネタとして有力な説が2つあり、ひとつは「メジロアサマ」
メジロアサマは競走馬のメジロマックイーンの父方の祖父に当たる(メジロティターンの父)。
同じ父親を持つ兄弟馬が短距離向きが多かったとされるが、見事に天皇賞優勝を果たす。
そして父子2代での天皇賞優勝を果たすメジロティターンを初めとする優秀な子供達を輩出した。
そしてもうひとつが「北野ミヤさん」
北野ミヤさんはメジロ牧場のオーナーの一人で、1986年の牝馬三冠馬・メジロラモーヌ、メジロライアン、メジロパーマー、メジロドーベル、メジロブライトの生産に携わり、メジロ牧場の最盛期を築いた人物です。ファンや関係者からは「メジロのおばあちゃん」と呼ばれ親しまれていました。
現在他のメディア作品版においても、マックイーンとライアンは同じ祖母を持ついとこ同士ということが示唆されていることや、現在ウマ娘化されているメジロ冠のすべての馬の生産に関係していることから、おそらくこちらの説が濃厚なのではないかと思われます。
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