トレーナーは少しでも<スピカ>メンバーの刺激になればと、夏の合宿を企画する。だが、互いに気遣いをするスペシャルウィークとサイレンススズカを見て、トレーナーは一計を案じ賭けに出るのだが…
チームスピカが夏合宿をしている頃、エルコンドルパサーはフランスでヨーロッパ最強のウマ娘「ブロワイエ」にあったとシンボリルドルフに連絡がありました。
元ネタは凱旋門賞馬「モンジュー」
実際にはブロワイエという名前ではなく、モンジューという馬が凱旋門賞でエルコンドルパサーを降して、ジャパンカップに出走しています。エルコンドルパサーと対戦する凱旋門賞まで7戦6勝2着1回というほぼパーフェクトな戦績で
アイルランドで生産され、フランスで調教された競走馬、種牡馬。おもな勝ち鞍は1999年のジョッケクルブ賞(フランスダービー)、アイリッシュダービー、凱旋門賞、2000年のタタソールズゴールドカップ、サンクルー大賞、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス。とG1を6勝を挙げて引退しました。
種牡馬入りした後も、初年度産駒のハリケーンランが凱旋門賞父子2代制覇を達成、孫世代でもワーザーが2015/2016シーズン香港年度代表馬に選出される等、優秀な血統を残しています。
ついにエルコンドルパサーが出走する凱旋門賞の日が来ました。チームスピカもリギルの面々が集まって中継を見ていますが、スピカのトレーナーは女子寮には入れないようでトレーナー室で一人観戦していました。
エルコンドルパサーはスタート直後に最内枠から勢いをつけて先頭に立ち、そのまま戦闘でレースを進めます。そして後続に2馬身ほどの差をつけたまま最後の直線に入り、その差を広げていったが、残り400メートルあたりからモンジュー(作内:ブロワイエ)が急追し、残り100メートルほどで抜かれてしまいます。しかしエルコンドルパサーはさらにモンジューを差し返しにいったものの、半馬身およばずの2着と敗れました。
モンジューを管理したジョン・ハモンドも後に「おそらく硬い馬場だったら敵わなかったと思う。あれだけモンジューにとって好条件が揃ったのに、2頭の勝ち馬がいたも同然の結果だったのだから」と振り返っており、現地メディアは「チャンピオンが2頭いた」と伝えるほどのレース内容でした。
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